ローズオニールとキューピーのおはなし

キューピーの作者ローズオニール 1874年6月25日、アメリカのペンシルバニア州でひとりの可愛い女の子が誕生しました。彼女こそが後に世界的なキャラクター「キューピー」を誕生させる「ローズオニール」です。ローズは小さな頃から絵を描くことが何よりも大好きで、女優にさせたいという父親の願いとは裏腹に、いつも紙と鉛筆を手にしていました。そんな彼女の運命を変えたのは13歳の誕生日の直前、新聞社主催の子供の絵画展で金賞をとった出来事でした。彼女の真の才能を見出した父親はローズの望み通り画家になる道を認めることになりました。

 
 

時代を先見した 自立する女性 19才で単身ニューヨークに行ったローズは、出版社にイラストの実力を認められ自活の道を開きました。当時女性が社会で働くこと、一人で自活することがほとんどない時代、一流雑誌の人気イラストレイターになったローズを男性だと思っていた読者もいたというお話が伝えられています。

結婚と離別 イラストレイターとして活躍していたローズは、2度結婚をしていますが、2度共に悲しい別れを経験し、心の傷を抱え両親や兄弟の住むミズリー州のボニーブルックに帰郷しました。

 
 

キューピー誕生 深い森と小さな川、小鳥のさえずり、風のささやき、木々のクモの巣の美しさ…ほとんど人の訪れる事のないボニーブルックの大自然は、傷ついたローズを再び甦らせました。
キューピーの誕生についてのある記者からの質問に、後日ローズは次のように答えています。「ある夜、わたしは夢をみました。私の周りを妖精のような小さなものが『キューピー』『キューピー』と呼びながら飛び回っていました。ひとりが小鳥のようにわたしの肩にとまりました。奇妙な感覚がしましたが、すぐに彼らが彼らのおなかのように真ん丸い温かなハートを持っていることがわかりました。そして彼らは哲学であると気づきました。」
夢の後、ローズはいっきにキューピーの絵物語の創作にかかりました。そして歴史的な第1話が当時人気の婦人雑誌“Ladies’ Home Journal” 12月号に発表されました。婦人雑誌への掲載…そこには、このキューピーの物語を母親が子供に読んで聞かせてあげてほしいというローズの願いが込められていました。

 
 

キューピー時代の幕開け 子供と子供の心を保つ大人たちへ贈られたキューピー物語は、その後色々な雑誌・書籍・新聞などに約40年弱にわたり連載され続け、一大キューピー時代を築いていきました。
またこの創作活動の間にローズが描くキューピーの図も絶えず進化を続けていました。
1909年Ladies’ Home Journal誌に初めて登場したキューピーの絵は、ほっそりしデッサン調に描かれていますが、1914年にはふっくらぽっちゃり型に。キャラクターとして進化しています。

 
 

キューピーの哲学  キューピッシュ・ラブ 「いいことを楽しい方法(Funny Way)で行う」ローズオニールのキューピー物語に一貫して流れる精神・・・それをローズはキューピッシュ・ラブと読んでいます。困っている人やかわいそうな子供を見つけたキューピーたち、みんなの力と楽しいアイディアを集めてさあお手伝いにでかけよう、お手伝いって楽しいね。いつもキューピーたちはみんなのそばにいて、応援しています。

 
 

キューピーの名前の由来 「いいことを楽しい方法(Funny Way)で行う」ローズオニールのキューピー物語に一貫して流れる精神・・・それをローズはキューピッシュ・ラブと読んでいます。困っている人やかわいそうな子供を見つけたキューピーたち、みんなの力と楽しいアイディアを集めてさあお手伝いにでかけよう、お手伝いって楽しいね。いつもキューピーたちはみんなのそばにいて、応援しています。

 
 

キューピー人形の誕生
雑誌に発表されたキューピーはたちまち大人気となり、ローズオニールのもとには子供たちから「お人形がほしい」という手紙が山のように届けられました。そして1913年ついに彫刻にも非凡な才能をもつローズオニールによってビスクのキューピー人形が誕生しました。
キューピー人形誕生へのローズオニールの熱い思いは、キューピー人形のパッケージの上に書かれているローズオニールの詩によく表れています。キューピーのイラストと詩で構成された絵本のようなこのパッケージラベルは、イラストはもちろんデザインも詩もローズオニールによるものです。
ローズオニールのキューピー人形製作過程で幾つかのエピソードが残っています。キューピー人形は、当時人形の生産が盛んであったドイツで製造されることになりました。工場から最初におくられてきた人形の原型は、あまりにもローズのイメージとはかけ離れていたためローズは自らドイツに行き、しばらくドイツに留まり9種のサイズの原型をつくりあげました。これらの原型が全てのキューピー人形の基本となりました。また、あるドイツ工場を訪れたおり、一番小さな安価なキューピーが職人たちによって雑に扱われているのを目にし、「この一番小さな安いキューピーを買うのは、貧しい子供たち。だからこそ、大きなキューピーにまけないぐらい心をこめてつくってください」これを聞いた職人たちは大変感動し、その後は小さなキューピーもていねいに製造したということです。
ローズオニールの手と愛から誕生したキューピー人形は、キューピーブームにさらに拍車をかけ、アメリカ中を大キューピーブームにしました。

パッケージのの詩は、次のように語りかけています。
『なぜ、そんなに急いでいるのか、聞きたい?
わたしたちは、人形になるためにでかけるの。
子供たちは、キューピーを待っているの。
だから一番いい方法は、人形になって子供たちのところに行って、いっしょにあそぶこと。
キューピー人形はキューピーからはなれたくないかもね。
でも空を飛びながら覚えたキューピーの微笑みを、
毎日みんなにあげてね。
ひとつひとつの微笑みがローズオニールの
キューピッシュラブを伝えてくれるように。』

 
 

初めての 世界的キャラクターブームキューピー人形の第1号は、日本でもおなじみのキューピーポーズ、パッと手を広げてたっているスタンディングキューピーでした。ひきつづき、アクションキューピーと呼ばれる様々なポーズのキューピー人形が登場しました。幼児のなにげない無垢なしぐさや、自然なポーズのエッセンスをとらえたこれらのキューピーたちに人々は夢中になり、アメリカではキューピークレイズ(キューピー狂)時代とまで呼ばれる大ブームを巻き起こしました。人形だけでなく、食器・時計・文具・石鹸・おもちゃなど、ありとあらゆる物にキューピーが登場しました。また広告にも活躍、アイスクリームやゼリーなどお菓子をはじめ石鹸などの広告にも採用されました。このブームは、ヨーロッパをはじめ世界中に広がり、地球の裏側の日本にも広がっていきました。
日本に初めてキューピーが登場したのは大正4年頃(1915年)と考えられます。海を渡ってきたキューピーは、大ブームを起こし、土製やセルロイド製のキューピー人形をはじめ絵はがき、本、手芸、おもちゃなどにキューピーが登場しました。戦前・戦後をとおして何世代にもわたり日本で愛されつづけてきたキューピー。1990年代後半からは、作者ローズオニールとキューピーのお話などが日本でも本格的に紹介されはじめ、偉大なキャラクター、キューピーの魅力が再認識されています。

 
 

テーマパークのはじまり キューピーヴィレ ローズオニールはキューピーたちの住む町を「キューピーヴィレ」と名付け、その物語を、1925年から雑誌に連載し始めました。煉瓦のゲート、ショッピング街、町のシンボルお城。ファンタジックな乗り物、パレード、ホテル・・・。現代のテーマパークの基本となる要素がこのキューピーヴィレには揃っています。ディズニーランドがアメリカに誕生したのは、1955年のこと。ローズオニールはなんと30年も前にその原型を雑誌に発表していました。

 
 

キャラクター丸論のはじまり「キャラクターは丸で構成される」ことを世界で初めて実証したのもローズオニールです。1936年「キューピーヴィレのスクートルズ」誌の中で、キューピーが丸から誕生することを実際に絵にかいて実証しています。明快な顔のりんかく、小さな丸点の鼻、点のようなまゆ、一本の曲線で描かれた口。キャラクターの基本である丸と単純化されたライン。20世紀の後期から世界中を巻き込んだキャラクターの原型を、ローズオニールが形作っていたといえるでしょう。

 
 

2008年ローズオニール 国民的栄誉賞を受賞アメリカのナショナル・ウーメンズ・ヒストリカル・プロジェクト(NWHP)は、毎年優れた歴史的な女性を選考し栄誉賞を与えてきました。2008年3月、ローズオニールがキューピーを含む秀でたアートと偉業、さらに女性の参政権活動等への積極的な援助等に代表される時代を先見した功績に対して、その栄誉に選考されました。
ローズオニールは20歳代にはすでにイラストの仕事によって人気作家となり、当時では大変珍しかった自立する女性でした。キューピーを発表した後は、国民的な時代の寵児となり世界で最も有名な女性7人の一人にも選ばれるほどでした。
その後 二つの世界大戦を経て、世界の流れは大きく変わり、アメリカでは一時キューピーとローズオニールは一部のファンにだけ愛されていた時代がありました。しかし、100年の歴史を越え、今またローズオニールとその偉業ばかりでなく彼女の人生そのものが高く評価され、今回の栄誉を受けることになりました。